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【天理教】感話大会

「生かされ守られて」

天理教の教えでは、
「身上かしもの・かりもの、心一つが我の理」と教えられています。
この身体は、神様からの御守護で成り立っていて、
この身体を司るのは「心」だということだと思います。
私は、「かしもの・かりもの」である身体のことで心を病んでいました。

私は、生まれつき、いくつもの身上(障害)があります。
左目は、あまり見えません。
左耳は、全く聞こえません。
左手は、変形していて不自由です。
左肺と左腎臓はありません。
心臓は変形していて疾患があります。

しかし、日常生活に支障はなく、
小・中・高校と普通学校に通っていました。
高校卒業後は、ほとんど ひきもりに近い生活を送っていました。
それは、私に対する視線だったり、仕草、言葉が原因の一つでした。

ある時、私が街を歩いていると、
前方から少年2組が歩いて来ました。
全く知らない人でした。
なにやら楽しそうに話してるなと思っていたら、
私を指さして笑っていました。
そして、私の身上(障害)を真似してバカにしてきました。
その時、私は怒りや悲しみより驚いて、
頭が真っ白な状態になって、
どこをどうやって帰ってきたのか分からず、気がついたら家でした。
家に帰ってからは、そのことが頭にいっぱいで、
次第に憎しみと悲しみが湧き上がり、
また、どうしようもできないもどかしさを抱き、
とにかく、そのことを忘れようと必死に毎日を過ごしていました。
私が生きている限り、ずっと続くことだし、とにかく苦痛で、
「家の中で自分の好きなことだけをして生活していれば良いや」と
夢や希望なんてものは、僕にとってないんだと諦めていました。
家族以外のコミュニケーションもなく、
引きこもりという生活をしている内に、
頭も心もおかしくなるのを感じ、
「どうにかしてこの生活を変えたい」と思っていたとき
修養科(老若男女いる天理教の学校)にお引き寄せいただきました。

そして、修養科に入りました。
自分は、たくさんの人に助けられ、
守らているんだと気づかされました。
詰所(宿舎)や修養科では、
たくさんの人が僕に挨拶をしてくれたり、声をかけてくれました。
僕が具合悪そうにしていると飲み物をくれたり、
うちわであおいでくれたり、
みんなが優しくしてくれて、人の温もりを感じさせて頂きました。
親神様、教祖が修養科へ導いてくださったのだと思いました。
そして、そう思えたとたん自分に自信がついた気がしました。
(色んな人にたくさんの声をかけてもらい、
自分の存在を認められたような感じ)

はじめの一ヶ月は、忙しい日程と慣れない環境が続き、体調を崩してしまいました。
そんな時、詰所の同期生がすぐに「おさづけ」を取り次いでくれました。(おさづけ:病気で身体が思うようにならない人の回復を神様にお願いすること)
そして、親神様のお働きについても教えてくれました。
僕の身上(病気)の回復の為に願ってくれて「ありがたいな」と感じ、
これが「ようぼく」(親神様のお望みになる”陽気ぐらし”に向かって歩いている人)の真の姿なんだなと感じました。
また、知り合いでない人にも積極的に声をかけ、
おさづけを取り次いでる「ようぼく」の方にも出会いました。
今まで私は、家族や教会の一部の信者さんにしか、
おさづけをしていませんでしたが、その姿をみて、
知り合いや信仰しているいない関わらず、
身上を抱え悩んでいる人に積極的におさづけを取り次ぎたいと考えさせられました。
修養科では、たくさんの人からおさづけをしてもらい、
また、自分もおさづけを取り次ぐことができました。

神様は、理由や目的があって、
それぞれに身上(病気)や事情(悩み)のおてびきを与えてくださっているのだと思います。
私は、この身体でも、ほとんどのことは、なんでも出来ます。
左側の身上(障害)で困難なことは、右側の身体で助けている。
左耳は全く聞こえないが、右耳は聞くことが出来る。
左目で見づらい所は、右目で補い見ることが出来る。
左手で困難なことは、右手で支える。というように、
私の身体の中でも「たすけあい」が行われているんだなと感じました。
良いように考えると周りと異なる身体ということは、
それだけ注目を浴びるということで、
僕の姿や行動は、多くの人に見られるということ。
私は、親神様からこの身体を授けて頂いた。
おやさまの道具衆(世界中の人が陽気ぐらしになるように働く人)になれるように
神様は僕に、この身上(障害・病気)を授けてくださったのだと思います。
天理教の教会に生まれたことも、
そして僕が教会で生まれ育ったことも、
親神様の深い思いがあったのだと、今ではそう思えます。

私は左手が不自由ですが、おさづけが出来ます。
おさづけをしたくても、できない人がいる。
(寝たきりで身体を動かすことができない人もいます)
それを思えば、自分はおさづけが出来て、なんてありがたいことなんだと思います。
この感謝の気持ちを心に治めて、
修養科では、修養科生や詰所の身上がある人に、
一人でも多くおさづけを取り次ぎを定めました。
人に助けられ守られてきた私は、
今度は人を助けるようぼくとして、
親神様へ御恩報じをさせて頂きたいと強く思っています。

私は、身上(障害)と事情(悩み)のことで神様を恨んだこともありました。
でも今は感謝しています。
この身上(障害)がなかったら、
今、信仰の喜び、おたすけの話ができなかったし、
日々生きていることが当たり前になり、
生かされていることに感謝することもなかったかもしれません。

修養科にきて、天理教の教えを学べたこと、
身上事情について考える時間を頂いたこと、
たくさんの仲間に出会えたことに感謝しています。
修養科を終えておぢばを離れても、
日々元気に生かされている感謝の気持ちを忘れず、
信仰の喜びを伝えていきたい。
そして、教祖130年祭(御存命のおやさまが現身を隠された日から130年目という旬)に向かって力いっぱい前進したいと、今、決意しております。

感話大会に出場することを両親に伝えたら、
母親からメールを頂いたので、今から読ませて頂きます。

お母さんが妊娠中風邪をひいて、もしかしたらインフルエンザだったかもしれません。
一ヶ月以上寝込んだ状態で病院に行っても、
妊娠中だから薬も出してもらえず点滴もしてもらえませんでした。
そのうち中耳炎になったりして、
お腹の子は大丈夫だろうかと心配していました。
左耳に左手があり、その状態でへその緒が絡まり成長出来なかったのでは、と思います。
口の中もおっぱいを吸うことができず、小さいとき手術をしました。
風邪をひいたら入院していました。
手術することも考えましたが、
左耳だけでも何度も手術しなければならず、
夏休み冬休みを病院で過ごす事より、
家族と生活をして過ごす事の方が幸せと考え手術はしませんでした。
それでも、中学生になるときイジメなどを心配し、
医学も進歩しているからと手術を考え、東京の病院で検査をしました。
その時に左肺が無いこと、左腎臓が無いこと、心臓も変形し疾患があることを知りました。
内蔵がそんな訳でしたので全身麻酔のリスクが高く、
完治するかどうかもわからないということで手術はしませんでした。
それより今こうして、結構に生かされていることが幸せかと思います。
勇が生まれ、おっぱいを飲んでいる度にお母さんは
「ごめんね、ごめんね」と泣いていました。
そんな お母さんをお父さんは、
「そんな風にして育てたから、可哀想な子に育ってしまう」
むしろ、俺達を選んで生まれてきてくれたのだから、
「ありがとう、ありがとう」と育てさせて頂こう!と言ってくれました。
感話をすると聞き、良い機会を頂きましたのでメールしました。

私が知らない見えない所で親やきょうだい、
いろんな人が、私のことを考えて支えてくれているんだと気づかされました。
この場をお借りしてお礼をさせてください。
ありがとうございます。

MEMO

【修養科】第869期 感話大会 (2013年11月)より